『会社を休んで59日で世界一周』(Ver.3.63)原稿

雑誌連載時代にお世話になった編集者Kさんから日本語のアドバイスを受けたもの。
オリジナル原稿はVer.1から始まり、まったく違う手法で書き直しをしたものが、Ver.2。
Ver.2に写真を挿入したものがVer.3。
Ver.3を手直ししたものが、Ver3.1、Ver.3.2、最終的にはVer.395まで。
Ver.3.6を細かく直したものが,Ver.3.61、Ver.3.62、Ver.3.63となる。
当初、持込原稿は返却されてきたものを流用しようと考えていたが、
結果待ちの間に推敲が進み、結局、流用することなく、原稿出力は40回近くに及んだ。
Ver.3.76分で出版が決まり、Ver4を経てVer5を入稿。


「個人的には大変面白く読ませていただきました。原稿は文章としてはとても読みやすく、写真も雰囲気もあってレベルも高いものであるとは思います。ただ、書籍化した場合、単価が2000円はしてしまいます。それだけの金額を出してまで読みたいという読者が全国にどれくらいいるか、ということを私どもは考え、残念ながら採用にはいたりませんでした。」(A社編集1課)[Ver.3.4]

「楽しく拝読したのですが、小社の編集方針とは乖離が見られます」(B社)[Ver.3.74]

「原稿は大変平易な文章で綴られており、私のように同じ道をたどったことのある者にとっては、懐かしく拝読できました。中野さんの貴重な体験も、テーマ、切り口を工夫されないと一般の人に読んでいただくものにはならないのでないかと思います。もし次回旅にでるときは、紀行文か写真集を作ることを想定して、旅をすることをお勧めします。自分の楽しみは少し減るかもしれませんが、読者との旅を共有することが、あるいは可能になるかもしれません」(C社編集1課)[Ver.3.62]

「さて、『会社を休んで59日で世界一周鉄道の旅』についてですが、残念ながら、小社での刊行は見送らせていただきたいと思います。その理由と感想などを述べさせていただきたいと思います。見開き2頁で、一枚の写真、一つのエピソードという構成は、読みやすいと思います。ただ、1冊の本にすることを考えると、この構成で200頁以上というのは、現実的ではないと思います。全てをカラー写真にしようとすれば、定価が非常に高いものになってしまいます。現在、著名な写真家の写真集でも販売的には苦戦している状況で、失礼ですが、世間的には無名の方の写文集では、社のOKが出る可能性がほとんどありません。読んでみると、けっこう、59日間の出来事が旅程の添って書かれています。文章については、何度も推敲されているようですし、実際、ほとんど問題はないレベルであると思います。面白いエピソードも多いですね。これこそが、「旅」の醍醐味というエピソードもあります。特に、NYで奇跡の再会をする部分は、本当に感動的でした。非常に良い話だし、本当にこんなことがあり得るのかという驚き、18年という時間の隔たりを感じさせない友情が文章から伝わってくるのですが、構成上仕方のないことだったのかもしれませんが、あっさりと終わりすぎてしまい、もったいないと思いました。かたや、列車で移動中の話は、コンパートメントでどんな人と一緒になるのか、とか、買い出しをどうする、食堂車での食事など、同じことの繰り返しのように感じ、ちょっと退屈してしまいページをめくるのがつらくなってきます。そもそも、紀行文は非常に個人的なものだと思います。行く先々での出逢い、名所旧跡や壮大な自然などへの感動(または落胆)、トラブルなど……それら全てに対する著者の考え方、行動を、読者は筆者になったつもりで追体験していくわけです。中野様にとっては、それぞれの国でそれぞれ忘れがたい出逢いがあることはわかるのですが、取捨選択が必要ではないでしょうか。つらいでしょうが、思い切って捨てる部分、もっと詳しく書き足す部分を作った方が良いと思います。最後に、なぜ、小社からの刊行が難しいのかについて、少々触れさせていただきます。まず一つは、海外旅行が当たり前の世の中になり、実用書はともかく、最近、読んで旅情を楽しむような紀行文の売れゆきには、非常に厳しいものがあるということがあります。著名人は、その人の固定ファンの購買が期待できますが、無名の方のものは相当な驚くべき特徴がないと厳しいのが現状です。類書との差別化が、中野様の現時点の作品では難しいと言わざるを得ません。他社での成功を心より祈念してやみません。」(C社編集2課)

「会社を丸二ヶ月休んで海外旅行に行くというコンセプト自体は、この不況の時代だからこそ、あえて面白いテーマです。しかし、内容的には『個人的な旅行記』にとどまっていると判断せざるを得ず、『出版する』という社会に向けた表現行為に踏み込むにあたっては、もうひとひねり必要。シベリア鉄道の部分だけに絞り込んで展開し、深く掘り下げ、まじめな本づくりに取り組むなど。写真は一旅行者のスナップ写真の域。出版社にもよりますが『ナンパ旅行記』で全面展開するのであれば、それはそれで面白い本になるかもしれません。出版社、編集者は、それぞれ非常に個性が強く、個性によって仕事をしている部分も多々ありますので、これはあくまでも、そのうちの一人の意見にすぎない、と思っていただければと存じます。現時点での原稿でも充分、出版に耐えうる、と判断する出版社、編集者も大勢いるかもしれませんが、私の周囲は比較的硬派に社会問題に取り組んでいる版元が多いものですから、お役に立てず申し訳ありません」(D社)

「貴殿の原稿を拝読するうち、久しぶりに学生時代の昂揚とした気分が甦りました。これまでジャンルは違えどいくつかの著書も刊行された著者ゆえ、文章もテンポよく、山あり谷ありのストーリーは旅好きの読者を飽かせることなく面白く読ませました。が、個人的な趣味を離れ、これを小社から刊行させていただくとなると、ハードルが生じます」(E社)[Ver.3.758]

「結論から申し上げますと、弊社からの刊行は難しいと思われます。なぜ難しいと判断したかですが、まず第一に、本が売れない出版不況の中、とくに紀行文と言うジャンルは冬の時代です。小田実や沢木耕太郎の時代ならまだしも、海外の相当辺鄙なところへも多くの日本人が出かけていくようになり『珍しいところに行ってきた』『長い旅をした』ということが売り物にならなくなっています。私自身は、次に何が起こるか、どんな出会いが待っているのかを期待しながら読ませていただきましたが、こと商品として世に送り出す立場から見ると、著者の知名度、語られている旅の内容とも、利益を生み出す商品たり得るかどうかの判断で、否と言わざるを得ません。文章や写真のクオリティーは、ウェブ上によくある旅行記のレベルを遥かに凌駕し、もう少し手を入れれば、プロの手になるものと遜色のないところまで近づけると思います。今回読んでいて一番強く感じたのは、個人的体験・個人的感情の吐露でとどまっているという点です。良質な紀行文とは、訪れた国の環境や出会った人を語りながら、その語られた内容・個人を超えて、民族や歴史すら浮き彫りにしてしまうレベル、また、個人の旅を語りながら、その語ることが、人はなぜ旅に出るのかといったような旅の本質までも考えさせられてしまうようなものだと私は考えます。」(F社)[Ver.3.75]

「中野様のお原稿は『自分のアタマでデザインする旅』の記録であること、また、30代、仕事も人生も曲がり角に差し掛かった時期に、仕事をひとまずうっちゃって、思い切って非日常に飛び出す心意気など、読者の共感を呼ぶ部分があるのではないかと考えました。お原稿自体の完成度も高く、私自身愉しんで読ませていただきましたが、最終的に『個人的な体験』を超えて普遍の(少なくとも初版13000部の)読者に訴える要素が、今ひとつ足りないのではないかと思われるのです。いい意味で過剰な思い入れがなく、中野様のエネルギーも感動も充分に伝わってくるのですが、では読者が、自身に照らし合わせて日常に変化をもたらせる、そういったキックボードになるような強さが不足しているのかもしれません。矛盾するようで申し訳ないのですが、逆にそういったケレンや押し出しの強さがないところが、このお原稿の持ち味でもあるようにも思え、正直に申せば、ジレンマに陥っております。うまく申し上げられず、ほんとうに申し訳ありません。一般論ですが、『紀行』というジャンルが、今の市場であまり強いジャンルでないことも加味しなければなりません。文庫編集長に相談してはみたのですが、文庫はさらに著者の知名度など違ったハードルがあり、却って難しいようです。また単行本の場合、よほど念入りに営業的な仕掛けをしないと、小社のような中規模の刊行点数の版元では、埋もれさせてしまう恐れがあるのです。」(G社)[Ver.3.9]
 [上記いずれも要約文]


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