選外『会社を休んで59日で世界一周』の その後

「出版コンテストには気をつけて!」を読む


 最終的には31社33部署に原稿を持ち込んだ。
 まったくコメントなしで折り返し戻してきた出版社もあった。連絡をとって原稿発送したにもかかわらず、原稿を受領したのかどうかすらもわからない出版社もあった。それも大本命の出版社でだ。しかし、全体としては原稿に対して十分なコメントをもらえたと感じている。
 さまざまな評価をいただけただけでなく、他の編集部に検討を打診してくださったり、外部編集プロダクションに回送してくださった編集者もいる。何はともあれ「次のページをめくらせる強さ」という点は多くの出版社で評価され、忙しい中、原稿に最後まで目を通してもらえていることがわかった。(出版社からのコメント)

 しかし、持ち込み25社くらいで手詰まり・限界を感じ始めていたことも事実。原稿完成そして原稿持込1社目から1年近い時間が経とうとしていた。気持ち的に追い詰められると、焦りから、そのシステムに疑問を感じつつも共同出版系の会社に再び食指が動いた。(前作の「17出版」という受け皿もあったが、17出版は地道に営業し気長に売り続ける出版社ではあるものの、新刊配本力に乏しく、現在の出版事情・書店事情から考えると、あまりこの本の出版に適しているとは思えなかった。)
 とにかく30社は回ろうと決めていたので、「ジュンク堂」や「紀伊国屋書店」に足を運び、持込出版社の傾向を更に研究した。
 前編に記したように今回は大手出版社と常備率や配本率の良い中堅の出版社のみにアタックしていたが、中小の写真を得意とする出版社にも接触してみることにした。その結果、28社目にして、今回、この原稿を出版化することになった「第三書館」が見つかった。
 私自身、第三書館の名前は知っていたし、過去に本を読んだこともあった。しかし、今回の持ち込み計画では対象外の出版社でもあった。会社規模を調べまではしなかったが、今回、ターゲット外としていた初版3000部クラスの会社であることは容易に推測できたからである。その会社になぜアタックしたのか? それは、紀伊国屋書店で『熱帯劇場』(松村昭宏)という写真集の平積みを見つけたことに起因する。6色刷りの写真集で、写真の内容はとにもかくにも、発色も良く、私の知識からすると驚くほど低価格(1200円+税)の写真集だったのだ。

 持ち込み後、2か月程度で出版の話がまとまった。
 出版が決まる時というのは、
「あなたの作品は素晴らしい、ぜひ、うちから出版しましょう!」
「この作品は、読む者に刺激を与えるに間違いありません」
「おめでとうございます!」
なんてセリフはないのだ。
 過去3回の持ち込みと一緒で、まったく印象に残らないほど出版化の話は味気なく決まった。
 担当編集者の評価・講評すらない。
 評価は市場・読者が行うものと考えた方がよい。
 
 2003年10月末に契約を行った。
 最終原稿入稿後は、出版社サイドで作業は進められると思っていたのに、いきなり写真のレイアウトまで私がする羽目になった。ラフなイメージレイアウトではなく、ミリ単位の指定だ。著者の納得のいくように好きにつくらせてもらえること自体は嬉しいが、それ以上に、出版社が手を抜いているようにも思え、私は悩んだ。
 契約では入稿後3か月以内に発売となっていたのに、初校が出来てきたのが3月。原稿では1ページ完結型で行数を全編統一していたが、ワープロ(33文字×28行)と書籍(35文字×29行)では字詰めが若干異なり数ページでオリジナル・フォームが崩れた。幸い修正に対しては十分な時間を与えてもらえたものの、出版化は遅々として進む雰囲気ではなかった。これまでの経験では初校を著者校正すると、あとは編集担当者に一任していたが、今回は2校目も著者である私に回ってきた。前作では同じ助っ人と繰り返し校閲作業を行ったために、結果、数か所のミスに気づくことができなかった。そのため、今回は校正毎に校正スタッフを入れ替えた。違う目でチェックすると誤字・誤植は次から次へと出てくるものである。結果、校正作業は3校、4校と進んだ。より完成度の高いものを仕上げるという意味では、校正回数が増えることは本来嬉しいことだが、4校目(7月)になってから、第三書館から基本的な誤字の指摘や「ヴ」は使用しないという用字統一の指示があり、第三書館は本を出版する気がない、あるいは、本を出版する経営体力がないのでは、という不信感が一気に高まった。私が初めて本を出版した82年当時は、まだ家庭用ワープロはなく原稿は手書き、本もまだ活字を組んで印刷していた。つまり、ゲラが出来てきたら、それは本が出来るまであと一歩を意味していたが、今は渡したデータを流し込んでいるだけなので、ゲラの段階では作業が全体の何分の一進んでいるのかもわからなかった。家庭用コンピューターでもかなり高度なデザインができる今日、表紙デザインの見本が出来たくらいでは、本当に本が出版されるのかどうかまだ信用できる状態ではなかった。8月中旬になってもまだ写真部分は空白のままで、文字校正が部分的に6校に達したことを考えると、とてもでないが写真の色校正がスムースに進行するとは思えなかった。初校の奥付には4月1日の日付が記されていたのに、それが6月15日になり、いつしか9月15日になっていた。WEB上の新刊予告にもラインアップされず、出版されるのかどうか? たとえ発売になっても、写真集とはいうものの発色や紙質で粗末な写真集になる懸念も拭い去ることができなかった。それにくわえ、作品化のタイムリミットも切実に感じるようになっていた。出版ストレスは頂点に達し、短気な私はキレそうになっていた。しかし、出版社とケンカするわけにはいかなかった。原稿データはとにもかくにも100枚以上のポジ原版を出版社に渡していたからだ。10月中の出版をこちらから穏やかに促すと同時に、2004年内に出版化されない場合の対処方法も考え始めていた。
 
 幸い2004年9月1日に色見本が出来てきて、質的にも納得のゆく内容であることを確認した。

 頭頂部の国宝が何千本損失したかわからないくらい出版ストレスの溜まった日々だった。しかし、質的に納得のゆくものとして書店に並びそうだ。

 ところで、○○社の共同出版の売りに「企画出版:出版社の意図が強く出る」に対し「共同出版:思い通りに書ける」というフレーズがあるが、このことはこれから作品を出版化しようという人には気をつけてもらいたい部分だ。
 思い通りに書けるというのは、読者を満足させるための本づくりではなく、著者に満足してもらうための本づくりだということに気づいてもらいたい。共同出版された本の中には著者の原題をそのまま採用したと思われるひどいタイトルのものもある。著者のつくったものを、そのまま書籍化するだけなら編集者なんていらないはずだ。

 『会社を休んで59日で世界一周』の出版物の内容については、初校から6か月近い時間経過があるので、今となっては、もう少し手直ししたい部分が生じてしまっていることも事実だが、ある程度満足のゆく状態に仕上がったといっても過言ではない。しかし、オリジナル原稿とは微妙に異なる点も出て来ていることも事実だ。
 まず、タイトルである。第三書館からタイトルの再検討を言い渡された。オリジナルタイトルは自分では非常に気に入っていたのだが、原稿を持ち込んだ複数の出版社から同じ指摘をされたので、再検討の認識は多少なりとはあった。
 もうひとつは、原稿は194ページ(写真97ページ・文章97ページ)だが、192ページにする必要が生じた。本というのは「ページ」単位で出来ているというより「折り丁」という単位で出来ていると考えた方が良い。「折り丁」というのは(基本的に)16ページを1枚の紙に印刷し、折りたたみ、裁断したもののことだ。―――古くなった辞書などがバラバラになると小冊子で構成されているのがわかるでしょ。アレです―――。32ページの本は2つの折り丁で構成されている。30ページの本も2つの折り丁だ。しかし、33ページになると3つの折り丁で構成されることになる。折り丁数は本の価格に影響を大きく与える部分なのだ。全ページカラー印刷の写文集のため、ただでも書店価格が高くなるのはわかっていたので、価格を少しでも購入しやすいものにする必要性は容易に理解できた。しかし、2ページ削るだけではすまなかったのだ。私は本作品には目次が必要ないと思い、わざと目次は用意しなかった。第三書館は目次は絶対に必要という見解で、最終的に計6ページ(写真3枚と本文3ページ)を削る運命に。バージョン1では話の10分の1くらいで原稿用紙100枚を軽く超えたために、テンポを良くするために100枚の原稿を、バージョン2として、もうこれ以上絞り込めないというくらい(20枚)まで絞り込んでいた。それからさらに本文3ページ(原稿用紙7枚分)の削除は辛かった。しかし、6ページ削除した後、4回以上校正を繰り返していると、それで正解だったことがよくわかった。
 タイトルにしても、本文削除にしても、私の主体性を尊重してもらえたのか、それが第三書館の手抜きだったのかわからないが、出版社が強引に決定してしまうのではなく、出版社との話し合いの下で出版作業が進行できたのは幸いだった。
 
 この出版洪水&出版不況の下で、この本の存在をどれだけ多くの人に知ってもらえるかは甚だ疑問だし、非常に困難なことだとは思うが、ある意味、良い出版社に巡り会えたと思っている。

 

 2004年9月下旬には全国の主要書店に並びます。
 内容的には賛否両論わかれると思いますが、ぜひ、書店・図書館で探してみてください。
 私はテーマを深く専門的に掘り下げるより「読んで楽しい旅行記」「読んだら旅に出たくなる旅行記」の方が良いと考えた。なぜらなら、旅で学んだことを他の角度から執筆に活かすことは後日でもできるが、旅の話をストレートに表現できるのは今しかないと思ったからだ。旅をされた方ならわかると思うが、どんな素敵な旅でも、なかなかストーリーにならないもの。ところが、今回の私の旅は、旅を旅としてストレートに表現しないともったいないと思うくらいストーリーのある旅だった、と思っているのですが……。ほかの出版社の編集者が言うように文章は単なる「一個人の単なる備忘録」なのか? また、写真は「一旅行者のスナップ写真の域」なのか?、著者としては知りたいところ。

 買っていただければ最高。お近くの図書館で読んでもらえても嬉しく思います。
 新聞や雑誌で紹介記事を見かけたら教えてください。
 読後感想をお寄せいただければ、これぞ著者冥利に尽きるというものでしょう。
 厳しい評価も楽しみにお待ちしております。

 共同出版系のコンテストで選外になっても大丈夫!
「こんな文章なら、私にだって書ける!」
「こんな写真なら、オレにだって撮れる!」
 この気持ちこそ、出版への第一歩だと思います。

(追記)
 出版を生業としている出版社では、会社を経営していくために、ある程度、出版物を定量的に発行しなければなりません。つまり、(極端な例え話になりますが)今年度は良い作品がないから、新作は出さない、ということはできないのです。私のような作品は業界で言う「ツナギ」という部分にあたるのかもしれません。「ツナギ」と言うのは、大御所の先生や定期的に執筆している作家の作品の間(出版ネタに乏しい時)に、「悪くはない。出してみようか、運がよければ・・・」という作品のことです。
 狙え! 間隙(ツナギ)出版!

中野吉宏


出版してからの苦労




掲載:2004年9月25日