シベリア鉄道 三度目の正直

ロシアは退屈を知らない

予告編
ただいま「本編」執筆中!


 1982年、大学3回生の時に横浜から船に乗りソビエトのナホトカに渡りシベリア鉄道でハバロフスク、イルクーツク、モスクワ、レニングラードを経由しフィンランドに抜けた。
 私自身、決して「左」寄りの人間ではなく、当時、何かにつけて、アメリカは正しく「ソビエトは国も人も悪」のように表現されていたので、それを自分の目で確かめてみたいという気持ちが強かった。
 二度目のシベリア鉄道は、社会主義体制が崩壊した後の2000年、大阪からフェリーで上海に渡り、そこから鉄道で、北京、ウランバートル、イルクーツク、モスクワ、サンクトペテルブルグを経由し、ポーランドに抜けた。
 そして、今回(2016年)、「特命」を帯び(?)、ふたたび、2000年と同じルートでサンクトペテルブルグまで。
 18年、16年というほぼ等間隔の時間経過から見るロシアの変化については後日紹介することとして、ここでは、鉄道での大陸横断を身近に感じてもらおうと、移動の話だけを短く紹介する。


 【大阪→上海】蘇州号 特別室A(2泊3日)
前回乗船時は、四国沖を通る航路だったのでまったく景色は期待していなかったのだが、今回は瀬戸内海を通った。明石大橋、瀬戸大橋、しまなみ海道、そして、途中の島々と、天気の良さにも助けられ絶景が続いた。
夜中に関門海峡を通過し、東シナ海へ。東シナ海では天気が悪く1万5千トンもあるフェリーが転覆するのではと思うほど揺れた。
乗船率は5%でガラガラだが、2人部屋はあくまで2人使用で1人使用などの変更サービスはなし。特別室も16年前からリノベートされていない感じ。
朝食は無料。夕食は500円。
写真はしまなみ海道。 
   【上海→北京】上海19:24発 2等
上海から北京に向かう寝台列車は、同じ特急でも22時間、15時間半、12時間とずいぶん所要時間が異なった。あとでわかるが、これは旧来の寝台列車と新幹線型寝台列車の違いのようだ。上海、北京での滞在時間を有意義に使い、かつホテル代を浮かすには、この列車(新幹線型上海19:24発、北京7:02着)は便利だった。
2等は4人個室。新型で、きれいで、快適だった。列車は時速160キロで走る。線路も高規格で揺れもまったくなかった。
同室の人(中国人)とは、挨拶のみで会話はなかった。
 【北京→ウランバートル】モスクワ行き国際列車 軟臥車
北京駅で「シベリア鉄道初級講座」の読者の方と偶然お会いしました。
以前のような生活路線的な雰囲気はなくなり、欧米豪などからの観光列車になってきています。
「高包」(2人個室)に人気があるようで、「軟臥車」はガラガラ。私はウランバートルまで4人部屋を1人使用。彼はモスクワまで4人部屋で1人だったらしい。
私の隣のコンパートは、香港とベルギーの15歳くらいの2人組少女と、オーストラリアからの腕中入れ墨の男性が相部屋。予約のタイミングを恨んだ(笑)。
 【北京→ウランバートル】内モンゴルの車窓 初日
残念ながら路線がショートカットされ、スイッチバックで有名な青龍橋、大同などは通らなくなり、万里の長城を半日、眺めるルートはなくなった。それでも見ごたえのある車窓が展開する。
「シベリア鉄道初級講座」を読んで、このルートに決めたという上の男性は「この夕陽を見れただけでも、この路線に乗って正解でした」と。まだ、初日ですよ~~!
ほかにも、内モンゴルで、日本では絶対に体験することのない砂嵐に列車が巻き込まれたりもした。
二連駅での台車交換作業はこちらをごらんください。
 【北京→ウランバートル】モンゴルの車窓 2日目
こういった景色を見ると、本当に気分リフレッシュできます。
日本の仕事(日常)で、小さいことでいろいろ悩みながら生きているのがバカらしくなります。
10年くらいは、旅の車窓を思い出して、チューインガムのように心の中でクチャクチャしながら、日本での荒波を乗り切ることができます。
旧型車両には冷房は付いていませんが、窓から顔を出せる魅力があります。
 【北京→ウランバートル】中国車両の車掌
北京発ウランバートル経由モスクワ行きは中国運行の列車です。機関車と食堂車は国境駅で交換されますが、車掌はモスクワまでの往復連続勤務です。1両に2人の車掌がいます。私の車両の担当車掌とは共通言語はなかったが、筆談とジェスチャーで2日間過ごしました。

いろいろと書きだすと止まりそうにないので、詳しくは「本編」で紹介したいと思います。

北京発満州里経由モスクワ行きはロシア運行車両。
  【ウランバートル→イルクーツク】#263列車 2等
発車時間の関係もあるが2泊3日の旅になる。スフバートル(ロシア国境手前の駅)からウランウデ(ロシア)までは1両編成で食堂車もない。以前は「行商列車」と呼ばれヤバイ噂満載の列車だったが、物流の著しい変化で行商人も消滅。実際、モンゴル人は1人だけで、あとは欧米豪の観光客。
私の個室は香港からの学生2人とモンゴル人だったが、モンゴル人は手持ちのマウンテンバイクを分解できなかったため、隣の部屋に回された。
16年前に乗車した263列車はモンゴル鉄道の超旧型車両だったが、今回はロシア鉄道の新型車両。(モンゴル鉄道とロシア鉄道の隔日運行の模様)
国境駅では各5時間停車。
ロシア人の女性車掌の1人がメチャクチャ不愛想で最悪だった。ベッドの説明もなかったので使い方を初日は間違えている。(背もたれ部分が倒れ敷布団がセットされており、ベッドも15cmほど広がる)
  【イルクーツク→モスクワ】 ロシア号 1等 初夜
初日の夜は同室になる人がいなかったので、車掌を誘って個室でお茶会。その日が誕生日というもう一人の車掌は次の日の仕事のために就寝。
車内はモスクワ時間で、6月の日照時間の長さもくわわり、もう時間感覚めちゃくちゃ。
   【イルクーツク→モスクワ】ロシア号 2日目
通路で目つきの悪い男に
「ちょっと付き合えや」と声をかけられ、隣の個室に連れて行かれる。(車内での饗宴は必須通過儀礼です)
あまり体調的に飲みたくなかったのですが、
「飲むと良くなる」とか
「飲まない人生なんてありえない」と言われ、
40%のウオッカとコニャックいただきました。
美味かった!です。指輪をいただいてしまいました。
(話はもっと深いのですが、詳細は「本編」で)
  【イルクーツク→モスクワ】ロシア号 2日目
クラスヤルスクからノボシビルスクまで同室。
コンパートに入ってくるなり、
「日本人か?」というケンカ調の言い方に、ヤバイと思ったが、取り越し苦労。日本には行ったことがないようですが、日本大好きロシア人でした。
共通言語はなく、「日露・露日辞典」を使ってのコミュニケーション。
下車時に金色のカップ(7000円)とナイフをプレゼントされました。
 
  【イルクーツク→モスクワ】ロシア号 2日目 食堂車
1等車では乗車直後にウエルカムミール(無料の軽食)が出たりするので、個室での食事会というのはなかった。誘われると知らない者同士でも食堂車へ・・・・・。車掌とも一緒にテーブルを囲みます。

 
  【イルクーツク→モスクワ】ロシア号 3日目 
イルクーツクで乗車しようとした時に、下車してきた乗客が「最高の車掌だったよ!」と言ったが、それは間違いではなかった。
私自身、イルクーツク乗車直後、車掌に、まずはトイレの使用法を確認したが、乗車10分も経っていないのに名前で呼ばれたのには驚いた。
シベリア鉄道を「ホームステイ」という表現をしている人がいたが、私に表現させてもらうと「めぞん一刻」の「一刻館」だな。
  【イルクーツク→モスクワ】ロシア号 3日目 
車内では、時計の生活ではなく、陽が昇ると活動を開始し、景色を見たり、飲んだり、食べたり・・・・。
初めてシベリア鉄道に乗った時には、読書のための本を持参していたが、今回は1冊も本は持参しなかった。
個室のドアは寝る時以外は開けっぱなし。
列車での生活が盛り上がり過ぎたので、モスクワ到着後の反動を内心心配していると、左奥の女性から「モスクワの街を案内してあげましょう」という申し出が・・・。
私は54歳。日本出発前には年齢を気にし、中国の地下鉄では何度も席を譲られたが、シベリア鉄道に乗ってからは年齢をまったく感じさせられない時間が流れた。
  【イルクーツク→モスクワ】ロシア号 3泊目
個室に入ってくるなり、
「私、ユーリーです! よろしくぅ!」と握手を求めてきた。今回もルームメイトにハズレなしでした!
仕事を終え、モスクワまで列車で移動。家はボルゴグラードとのこと。
今回の「ロシア号」、個室での大宴会こそありませんでしたが、素敵な人に恵まれ、楽しく時間が流れていきました。
もっと多くの人との出会いがあり、深い話が付随しているのですが、詳しくは「本編」完成までお待ちください。
 
  【イルクーツク→モスクワ】ロシア号 4日目
早朝6:01、定刻通りにゆ~っくりとホームに滑り込んだ。
隣の車両担当車掌のミーシャ。帽子を被っているミーシャには気づかなかったが、帽子を被らずに通路を歩いていた彼の頭頂部には見覚えがあった。
実は16年前にロシア号に乗った時の車両の担当車掌。
声をかけたら、向こうも覚えてくれていた。
2週間の勤務から解放されるからか表情も明るい。
「さ・よ・な・ら」、日本語で挨拶してくれた。

大阪港から出発して15日目に(船中・車中9泊で)モスクワ到着です。帰路の飛行機9時間より、どれだけ楽しく、短く感じたことか・・・・

中蒙露鉄道の旅、あと3~4日続いて欲しいなと思うくらいでした。
これはあくまで「予告編」。つまりプロローグのようなもので、もっと面白い話が続きます。

本当は、本作を書き上げて出版直前に、アップしようかと思いましたが、執筆をがんばるためにも予告を出しました。


ロシアにしろ、中国にしろ、旅をしていると、
国籍だとか、顔の色とか、関係なく接してくれる人がほとんどです。
「日本人」と「日本政府」を同一に扱う人は、少ないと思います。
しかし、日本人は、「ロシア政府」「中国政府」のことや、一部の人の行動を見て、
すべてのロシアの人や、すべての中国の人を、否定するような人が多いことが気にかかります。

特に残念に感じていることは「相手のことを知ろうとする努力すらしない人の多さ」です。


私はロシア語も、中国語もできません。英語もほとんどできません。
それでも、旅のコマを進めていくことができました。

自分の目で、世界を見て、感じてみるということをやってみてください。

「本編」が完成したら御連絡します。
2020年くらいかな?
メールくださいね。
windows2008★kobeport.net
(★を半角@に置き換えて送信してください)

  • はてなブックマークに追加


(1)
1982年にナホトカからモスクワまで同じ列車になった方からお手紙をいただきました。
(この方は家族で子供さんを連れたりして、相当回数利用されています)
祝 三度のシベ鉄大陸横断
うらやましい限りです。私ももう一度シベリア鉄道に乗りたいです。ただ体力に自信がありません。シベ鉄に一度乗ると飛行機に乗ることがアホらしくなります。長距離を途中何も体験しないまま、簡単に目的地に着いてしまうのがもったいないです。私は陸路だと少しずつ外国になっていくのが何とも言えず気に入っています。車窓から景色を見ているだけで時間を過ごせるのですが、中には二度と乗りたくないという人もいて、皆がシベ鉄を面白いと思っているわけではないと知りました。その点、貴殿のような同士がいるとホッとします。変貌したロシアが見てみたいです。私のシベ鉄の原風景はポプラの綿毛が飛ぶ七月のイルクーツクです。


(2)
ロシア号で一緒になり、モスクワの街を半日案内してくれた女性が、1年後やって来ました。それも、日本語出来ないのに、日本への転勤願を出して・・・
   


(3)
同じくロシア号で一緒になった男性。日本語を勉強したいということで、私が勤務するスキー学校のタコ部屋にやって来ました。我がスキースクール初の外国人インストラクターとなりました。